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2018年8月31日金曜日

弓道の的中(射技)の物理的考察〜会のままの残身について〜

9.会のままの残身について

これについては、私のような未熟なものが説明できるものではありません。
先生が残してくれたレポートをそのまま載せることにします。

S56.1.15
「会のままの残身」ということについて

(1)「手先きの弓」ということ

今日では弓は両手さえあれば引けるものと考えているものさえいる。つまり、どうにか弓と弦を張り、引きつけて両手で左右の「釣り合い」をとって、ソッとうまいこと手先で放せば当るものと考えている。

つまり「釣り合い」と「タイミング」に注意して「放す」ときに出来るだけ「ショック」を起こさない「放し方」を工夫している。そうなると「会は会」「放しは放し」「残身は残身」と、それぞれ全然別のものとなってくる。特に「放す」のであって「離れ」ではない。

更にハッキリ言えば「会」とは「大三」と同じで、そうすることになっているから、仕方なくそういう格好をつくれば片付くというぐらいのことになる。「残身」も同じことである。得に審査などで残身をやかましく言われると、昇段の条件として何秒かとってつけた格好をする。

一番大切なことは、如何に「うまく放すか」にある。的中するかどうか分れ目だから、誰でも真剣に放すタイミングとか、調子をとることが「放す技」だと思っている。このやり方は「アーチェリー」の方が上手である。「アーチェリー」は、的中本位に最初からつくられている。日本大弓でこの西洋の的中競技のやり方を真似ていることになる。

そうすると「世界一引きにくく、当りにくい」日本大弓というまことに非能率な道具は、甚だ不合理にできていることから、日本大弓独特の射法、その鍛錬、美技ということに気付かねばならなるまい。また、日本大弓独自の伝統の意義と今日的な在り方を究明することである。

(2)「離れ」とは何か

「離れ」とは自然現象と見るべきである。「離るるなり」が正しい形である。だから意識的にブチ切ったり、左右の釣り合いとタイミングをうまくとって、手先でチョンと工夫して放す技ではない。

「放して」いる間は絶対に「離れ」にはならない。「人為」であり、「人工」であるから、「自然」でもなく「必然」でもない。「離れ」というものは、自分で意識的にやっている限り「離れ」にならない。

「離れ」が起きるのは「離れるように持っていく」ところまでが人為、人工の限界であることに気づくことが大切である。

「努力」という点からすると、どこまでも「離れる」まで一筋に「全身を張り続ける」ということになる。

(3)「会のままの残身」と言ったのは

これはわかりよいように形をとらえて示したわけである。「離れ」ということに触れないところに「離れ」の真意を汲みとらねばならない。確かに「離れ」という現象はある。わかりよく言えば「自然現象」である。だから「離れるべくして離れる」ということである。
注)別添「二万分の一の瞬間」の写真を添付しておく。ここまで追求すれば、一人前である。

それは「会」で「張り合い」をつづけるうちに風船玉が破裂するように起こる。「放した」わけではない。だから「会の延長線上に自然に起こり」それがとりもなおさず「残身」、つまり「後の伸び」(古流)ということになる。

だから、「会の努力」だけが人間の可能の限界で、また、それだけしかできない。だから一途に「張れや張れ」それだけしかないということになる。

「離れ」が自然現象なら、「残身」もまた自然現象である。昔の「七道」には「残身」という項目はなかった。それは、「離れ」の中に入れて「後の伸び」と呼んでいたのである。それは「見事な離れ」の跡に必ず現れる。この「後の伸び」を絶賛して止まなかった。これが射の「見所中の見所」で、自然そのままの実に「美しい姿」だったからである。

これは、つくろうとして作れるものではなく、出そうとして出るものではない。だが、必ずそういう絶賛される見事な「後の伸び」と言い得る「残身」は誰でも到達することができる。その道づけが「正射道」なのである。

そういう射は「実感としてどんなときにおきるか」というと、「会」にはいって段々と心気が充実してくると、全身が「雪だるま」のようにアレヨ、アレヨと思うほど拡大し、全身が全く無感覚になって、自分がどうなるのだろうかとさえ思う。そして一瞬に爆発が起こる。そして矢が飛び出した後になって、はじめて「気がついたら矢が飛び出していた」「離れていた」ということになる。

「後の伸び」という残身の姿というものは、会が爆発(離れ)したあとの反動である。今まで張り詰めていた勢いが、急に相手である弓の圧力が一瞬になくなるから、反射的に全身がパッと開く、解放される。だが、それでも心気の方は、依然として一途に張れや張れとなっている。この気勢が「後の伸び」であり、自然に現れてきた「残身」である。

だからこれも作ろうとして作れるものではなく、そうしようとしてできるものでもない。体は矢と一緒に飛んで行くわけでないから、確かに体は残る(残身)だが、爆発も爆発したことに気がつくのも矢が飛び出した後のことである。だから正直な心境というものは「心に何も残らない」というすばらしい境地、スカッとした爽快な気分だけとなる。

だから、離れの一瞬にアレコレとチラツクものはニセモノ、また「離れた一瞬」にシマッタ、アアスレバヨカッタと感じる奴はインチキ弓を引いていることになる。そういうツマラン弓を何十年やっても、つまりインチキで、自分をダマシ、人をダマスことだから「腐れ根性」とか「下素弓」と私はクサしているわけである。

以上
二万分の一の瞬間
手書きのレポート(現物)

「会のままの残身」は、工学系頭の私が正射必中への科学的アプローチを行った結果の最後の課題でした。

皆さんは、これまで説明してきたことをおさらいして、
みなさん自身で解釈して、実践してみてください。

これから先は、さらに細かい部分の検証内容を説明して行きたいと思います。

次回は、会での勝手の手の内を考えるを予定します。
的中と仲良しになるために、またのお越しをお待ちしています。
解りにくいところがあれば、遠慮なくご質問ください。

がんばれ!


弓道の的中(射技)の物理的考察
もくじ

0.弓道の再開


1.はじめに
2.的中のための取り懸けについて(三つガケの場合)
3.的中について
4.離れについて
5.手を開いて(緩めて)離すことの弊害について(的中、上達を妨げるもの)
6.詰め合いについて
7ー1.張り合いについて~取り懸けを解いて離れる方法~
7ー2.張り合いについて~取り懸けを解いて離れる方法~
7ー3.張り合いについて~取り懸けを解いて離れる方法~
7ー4.張り合いについて~取り懸けを解いて離れる方法~
8.伸び合いについて
9.会のままの残身について
10.会での勝手の手の内を考える

11.取り懸けの親指と中指のクロスをどう解くか
12.取り懸けで親指を押える位置は?
13.押し手の手の内を作るとき、角見の皮を巻き込む?
14.「離す」と「離れる」はどう違う?
15.胸弦の活用
16.弓道の離れとアーチェリーのリリースとの比較
17.正射必中に必要な幾何学的な必須条件
18.細かい話にはなりますが
19.弦捻りをかけると離れで弦枕が引っかからないか?
20.中りに重要なのは押し手ではないのか?

21.会では見えない動作がある?
22.残身まで開く力αはどれだけ大きくできるのか?
23.集中力、モチベーションを下げない練習方法ってないの?
24.弦捻りの中心は、矢軸か親指の弦枕か?
25.カケ解きはどのように作用させればいいの?
26.既製のカケは親指で選ぶ
27.弦捻りの誤解
28.勝手の中指で親指の腹を押し出すについて

29.弓返りに大切なのは弓の捻り

30.押し肘の回内はなぜ必要か?


31.夏の暑さから弓を守るには

32.的中率を上げるためにやれること

33.かけがえのないものを受け継ぐには

34.かけほどきを身につけよう

35.(続)夏の暑さから弓を守るには

36.両肘の張りと弓の裏反りは似ている?

37.的中を維持するには、お風呂でエクササイズという手がある

38.的中のための本当のねらいとは

39.かけほどきの力の反作用も考えてみよう

40.的中は矢から学べ


41.「矢に学ぶ」①矢を分ける

42.「矢に学ぶ」②矢筋にのせる

43.「矢に学ぶ」③矢押し

44.「矢に学ぶ」④矢引き

45.「矢に学ぶ」⑤矢の離れ口

46.「矢に学ぶ」⑥矢妻をとる

47.「矢に学ぶ」⑦矢になる

48.スランプの原因を物理的に考察する

49.取り懸けをミクロに考察してみる

50.取り懸けをミクロに考察してみる(大切な補足編)


51.「離れ」の瞬間を考察する


がんばれ!

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