62.早気の人への親切なアドバイス
早気の人は、自分では気付いていないかもしれないので、率直な私の意見を言わせていただきます。
例えば、昇段審査では、
射法八節が理解され実践できているかが評価されるわけです。早気で臨むということは、会を理解して実践できていないことを、実証してしまっていることにお気づきでしょうか。
審査でなくても、普段の練習においても、本人はまったく意識してないとは思いますが、「自分は会を理解できていません」と体現しているとしか、私には見えないのです。
私は、早気には成れません。(もたれにも成れません。)
「会」の意味を、私なりに理解してしまったので、意味があるものを、決して省くことはできないのです。
<仮説>
早気の根本原因は、単なる「思考停止」である。(もたれも同様)
<検証>
大三で離す人は、ほぼいないでしょう。(暴発を除いて)
なぜなら、決して大三では離してはいけないと、誰もが理解しているからです。
しかし、会のない早気の人は、少なくもなく存在しています。
なぜなら、会で早く離してはいけないと思いつつも、反射的に早く離しても「テヘへっ早かった?」ととぼけていれば許されるというような深層心理を持っているからなのでしょう。本当にいけないことだとは思っていないし、会で何をやるべきなのかを理解してないし、理解しようともしていない。つまり、思考停止状態になっているのです。
例えば、3秒以上持てなければ、罰を与えるようにすれば、罰を受けるのが嫌なので、時間間隔的には持てるようになるでしょう。しかし、ただ持っているだけという意味のない会になります。これも、ある意味、思考停止になっています。
(これは、大学時代の部活で早気の人たちを治すためにやったことなのですが、試合の緊張感の中では間合いを持たせてくれるので、ある程度の効果を発揮してくれました)
やはり、
意味のある「会」にするためには、「会」が何のためにあるのかを理解して、実践するほうが合理的です。
弓道教本 第1巻 射法八節図解には、以下のように記されています。
「会」
心身を合一して発射の機を熟せしむ
胸は息を詰めず、らくに腹の力が八分九分に詰まった時が離れである
「離れ」
胸郭を広く開き矢を発せしむ。
上下左右に十分伸び合い気力丹田に八九分詰りたる時気合の発動により矢を発する。
この文章をどのように理解すれば良いのか、理系脳の私にはよく解りません。
文字通りに受け止めると、以下のようにも読めます。
「会」:心と身体で離すタイミングを熟成する。腹の力を八分九分に詰めたところが離すタイミングです。
「離れ」:胸の骨格を広く開いて矢を離す。上下左右に十分伸び合って、気力を丹田に八九分詰めたタイミングで、気合で矢を離しましょう。
このように、会は矢を離すタイミングをとるためにある、としか読めないような記述になっているように思えて、会の内容を理解できない人ができてもいたしかたないように思えてきます。
「会は、離れを生むためにある」
と私は理解しているので、会の中では、離れを出すためにできることを尽くします。(以前、わかりやすいように、会四節として提案させていただきました)
<参照>58.的中率をさらに上げるためにやれること〜(アップデート)
<まとめ>
残念ながら、物理的にみると、的中するかどうかの90%以上(ほぼ100%)は離れをどのように迎えるかだけで決まります。
<参考>
会のまま離れることで、的中は実現するのですから、早気であっても的中は出せます。しかし、会から離れにおいて全力を尽くしてない早気の方の射は、私が見ても、あんこの入っていないあんぱんにしか見えません。つまり、肝心な味が感じられないのです。非常に残念に思います。(まれに、味わいのある早気の方もいるのですが・・・)
みなさんなりの会の理解によって、みなさんなりの味のある「会」を生み出しては、いかがでしょうか・・・。そこに、射技の本質があるように思います。
早気を直す唯一の方法は、
「会」の意味を考え、理解しようとすることだけだと考えます。
的中と仲良しになるために、またのお越しをお待ちしています。
解りにくいところがあれば、遠慮なくご質問ください。