59.既成概念は「離れ」と「残身」をも誤解させる
離れは、
取り懸けが解けて弦が勝手(馬手)から放たれる瞬間的な現象です。したがって、物理的にみれば、離れに大きいも小さいも無いのが事実です。しかし、残身の形を表すのに「大離れ」「小離れ」と呼びます。
しかも、
最近は大離れを推奨するので、多くの人は、まず、大きく引き離すよう指導されます。初心者に残身の形を覚えさせるためにはしかたないことなのですが、「大離し」の練習を続けて引き離しとなったまま、矢所は的の周りを回るか掃き矢になってしまう。これは誰もが経験していることと思います。(幕打ちする場合もあるほどです)
<仮説>
「離れ」と「残身」の誤解がまねく大離し(お話し)
<検証>
物理的な目で素直に見れば、大きいか小さいかは「離れ」ではなく「残身」です。したがって、「大残身」「小残身」と呼ぶのが正しい表現と言えるのでしょう。
しかし、言葉のごろが悪いからなのか、響きが悪いからなのか、既成概念では「大離れ」「小離れ」と呼びます。このことが「離れ」の誤解を生んでいるのではないかと推測します。大きく離す動作が良い離れだと・・・。
「離れ」は瞬間のできごとです。大きい小さいは関係ありません。
「離れ」の瞬間
(51.「離れ」の瞬間を考察する参照)
初心者には、形(フォーム)を覚えさせるため、弦を離すと同時に大きく腕を開く動作を「大離れ」だと指導します。
それはやむを得ないことなのですが、形を身につけたその先に本当の「離れ」の本質を指導してもらえる機会にはなかなか恵まれません。
大きな「残身」(大離れではありません)
そして、
多くの人は、「離れ」を弦を離して腕を大きく開く動作として誤解してしまいます。離すタイミングが合わなくなると、途端に的中が止まってしまいます。その結果、正射必中との乖離に慣れてしまいます。
ここに、
射技の進歩に壁ができるように思います。
(的中に悩むことなく、弓を引くことを楽しめるような射技の伝承ができていくことに期待して、私は少しでもこのブログがきっかけになればと思っています)
このブログを読んで「離れ」と「残身」の違いを知ってしまったあなたは、この壁を破るきっかけを得たということだけは確かです。
会では、大きく離すタイミングを取る練習を続けるのではなく、取り懸けが解けて「離れ」がでる方向に張り(筋力のベクトル(方向))をかけていくことに、気力や気合いを注ぐことに意味があるように思います。
<補足>
引離しであるかどうかを簡単に確かめる方法があります。
これは、私が学生の時に指導してくださった教え魔な先生がやった方法です。
まず、
先生が引くので、会で右腕が開かないように両手で押さえなさいと言われ、その通りに腕を押えたのですが、先生は普通に離れを出して矢を射たのです。(当然、右腕を押さえているので、弓力が解けた反力はあります)
腕が開かないように両手で押さえる
次に、
自分たちも同じように、会で右腕を押さえてもらって引いてみましたが、まさにツボを突かれたようにまったく離せないのです。手を開いて離そうと考えますが、耳に弦が当たりそうで怖くて手を開らけません。
まさにこの時、「自分たちは弦が当たらないよう腕を開きながら良いあんばいに手を開いて離している」ということに気付かされたのです。
※この方法は危険がともないますので、やる場合は自己責任でお願いします。
<まとめ>
・「離れ」に「大きい」「小さい」はあるか?・・・ない。
・「残身」に「大きい」「小さい」はあるか?・・・ある。
大切なことは、
いつまでも「大離し」の引き離しのままでいては、的中とは仲良くなれないということです。
物理的にみれば、手先の技の働きがなければ、「離れ」が起きないのは確かです。
既成概念では「離れでは勝手(馬手)は意識するな」と言われますが、人は意識しないで動作ができるはずはありません。(反射運動を除いては)
正しく表現するなら、
「意識しなくても「離れ」がでるような動作ができるようになること(身につけること)」と言い換えた方が、私たちが練習で何をやるべきかを理解しやすいのでしょう。
気力や気合いで出そうとする動作=技は、そもそも身についていないと働かないというのは明らかなのです。もし、気力や気合いだけで動作=技が出せたとしたら、それは神業です。達人が生まれた瞬間に出会えることになるのでしょう。(私のような凡人には訪れることのない瞬間です)
私のような凡人でも、正射必中に近づく努力は(楽しみながら)続けていきたいものです。
次回は、未定 を予定します。
的中と仲良しになるために、またのお越しをお待ちしています。
解りにくいところがあれば、遠慮なくご質問ください。